妻が夫の愛人の写真を納棺する話

「この人は不運な人でした。ここに葬ってあげましょう」とつぶやきながら、岡倉天心の妻元子は星崎初子の写真を天心の遺骨と一緒に、分骨された五浦の一角の土饅頭の中に納めた。

 星崎初子というのは男爵で美術学者の九鬼隆一が京都の花柳界から落籍した元の夫人であった。

 明治19年に天心が欧米視察の際にワシントンで特命全権公使九鬼隆一に会い、その委託で初子夫人の帰国をエスコ−トして親交を結ぶようになった。帰国後は九鬼が女道楽に耽ってため、初子は悩んだ末協議離婚が成立した。星崎姓に戻り、根岸の二階屋に住んだ。

 天心は初子の相談相手になっている間に愛情を交すようになった。

 天心が中根岸に住み、東京美術学校長の頃の明治30年初頭のころであった。天心の妻元子は、天心の上司であった浜尾新に頼み、天心の放縦をいさめてもらったが、おさまらなかった。

 この冬天心が谷中の初音町に移ると共に、一時別居していた元子が帰宅した。初子はこれを知って衝撃を受け狂気を発して巣鴨病院に収容された。数年して初子は亡くなった。初子と天心の悲恋物語であり、同情すべき初子の身の上であった。

 元子が夫天心の墓域の傍らに初子の写真を埋めたのも、今は遠い思い出に、深い同情をそそいだからだと言われる。